梅棹 忠夫 アーカイブズ

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解説文

民博の初代館長・梅棹忠夫(1920-2010)は中学生時代の山行をきっかけに、登山、探検、調査などの現地体験をかさね、そのつど積極的に資料を集めて残しました。とくに1940年の白頭山行をはじめ、1941年のミクロネシア、1942年の北部大興安嶺、1944-46年の内モンゴル、1955年のカラコラム・ヒンズークシ、1957-58年の東南アジア、1963-64年のタンザニアの学術調査などは、当時の情勢下ではたいへん困難な行為であり、その意味でも貴重な資料を収集したと言えます。

梅棹忠夫アーカイブズには、フィールド・ノート、スケッチ、写真など、現地調査で生成された一次資料だけでなく、さまざまな発想、原稿のアイデアや梗概を記したカード、原稿、著作物、それに対する書評など、個人としての知的生産活動に関わる二次、三次資料のほか、学術調査・探検や学会の組織活動、学術行政、文化行政、国際交流、日本万国博覧会をはじめとした各博覧会への関与、民博創設・運営に関わる会議録など、梅棹の生涯を通じた活動に関わる資料のほとんどすべてが含まれています。

2011年4月以降、民博ではこれらの膨大な資料の整理保存を開始し、目録情報の作成とともに、劣化のはげしい資料から各ページのデジタル画像化を進めています。それらを順次公開してゆきますので、日本における民族学史、学術調査・探検史、学術行政史の解明などを始め、研究のために幅ひろくご活用ください。