泉 靖一 アーカイブ

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解説文

泉靖一氏(1915-1970)は、戦後の文化人類学を牽引し、石田英一郎とともに東京大学に文化人類学コースを創設した研究者です。東京で生まれ、その後、父泉哲について朝鮮半島に渡り、京城帝国大学で文化人類学を修めました。戦後は、明治大学政経学部の専任講師として学界に復帰し、政府の経済安定本部資源調査会専門委員として活躍しました。とくに水資源開発計画に関連した村落である奈良県の十津川村や、集団移住して築かれた北海道の新十津川村で実施した社会調査は有名です。

1952年から53年にかけてユネスコの国際共同研究「社会的緊張」プロジェクトの一員としてブラジルの日系移民の調査を行い、1956年にも外務省の委託で、日本人移住者の同化をテーマに同国を訪れます。その帰路立ち寄ったペルーで古代アンデス文明の遺跡に魅入り、ハーバード大学で本格的なアンデス考古学研究を修めます。1958年にアンデス地帯学術調査団を組織し(第1回の団長は石田英一郎)、1960年には世界的に有名になったコトシュ遺跡の「交差した手の神殿」を発見し、日本のアンデス文明研究の礎を築きました。1970年に55歳の若さで世を去りますが、晩年は梅棹忠夫氏らとともに国立民族学博物館の創設に尽力を捧げました。

本館所蔵の資料は、このうち、アンデス研究以前の泉氏が関心を寄せたテーマに関するものが主体となっています。なお泉は、自身に代わってボルネオ調査へ赴き消息を絶った民族学者鹿野忠雄に対する責任を感じ、鹿野の資料を引き取り、東大文化人類学教室に保管していました。その鹿野の資料が、現在本館に収蔵されている鹿野忠雄アーカイブです。